fresinoとgambino
最近ライブを見てかなり気にかかっているkid fresino
ウェブに載ってるインタビューなんかを食い入るように見ているんだけど、その中で最近頻繁に考えていることに合致したような内容を見つけたので
- —NYに来た理由はなんですか?
- 佐々木:半使命的な感じです(笑)。日本にいても、あまり面白いことが起きそうな雰囲気がなかったので来てみました。
中略
- —日本はつまらなかったですか?
- 佐々木:つまらなくなりそうな感じがしました。終わりに向かってる感じがしたというか。湖に入っていってる感じがずっとあったんです。湖の真ん中に向かってどんどん入っていって、今、膝下くらいまできてるなっていうのを毎日感じてて。このまま行ったら溺れてしまうなって。じゃあ出ようかなっていう感じですね。
一昨年の記事だけれどなかなか鋭い視点で物事を語っているように思う。
Kid fresinoといえばラッパーだけど、海外のラッパーで最近注目されているのがChildish gambino
「this is America」という曲のMVで皮肉たっぷりに現状のアメリカを表現している。
この表現の源はおそらくは怒りやそれに似たものだと思うんだけど、それでも自分が住んでいる国のことをここまで憂い、映像まで撮ってしまうっていうエネルギーはすごいものを感じる。
ここに日本のヒップホップとアメリカのヒップホップの違いを大きく感じるのは自分だけなんだろうか。
いや、これはヒップホップという表象的なものだから表れている現象ではなく、昨今の日本とアメリカの日本と世界の在り方に直結すると考えられる。
Kid fresinoも語っている通り、現在の日本はかなり危うい状況にあると言っていい。
世間を賑わせているニュースを見てもわかる。
国のトップが隠蔽に躍起になり、長がくだらないことを言って今世間的にも関心のある話題で取りあげられる。
そこで日本の人たちは何ができるのだろうかと考えやしない、そもそも考える必要が無いと考えているのかもしれない。
必要がないと考えるとはおかしな言葉で考えられないと言った方が正しいのか。
日本中のヒップホッパーに対して「this is japan」と歌い、書類を燃やすなんてMVを作れとは言っていない。
ハリルホジッチが解任され、鎖国JAPANなんて見出しが躍っている中、ちょっと世界情勢の中の日本にセンシティブになっている自分にとって、Childish Gambinoの映像そしてkid fresinoのインタビューがなんか刺さってるなと感じたので書いてみた。
fresinoとgambino、立ってるステージも違うけど、どちらも行動を起こしたという意味においては同じだと思う。
そんなことを考えていると高須さんが最近の若者は元気がない、ハングリーがないという旨のツイートをしたようだ。
それに対しては賛否両論が飛んでいる。年上の人たちが残したものは何か、失われた20年なのか、崩壊した政治組織なのか、そしてまたレガシーなる机上の空論によって作られたものが遺されようとしている。
どうすればいいのだろうか、fresinoもgambinoも自分の手で足で自分の立場を変えていった。
それに追従できればとても良いのだろうが…