この世のことについて。
底辺ってなんだろうか。
我々はいつも底辺を見てる、笑ってる。なんのために、自分の保身のため、自分を誰かより高く見せたいため。
連休前の日曜日の有楽町駅の吉野家は悲惨だ。
これまで見た中で、1番悲惨といっても過言ではないだろう。
下北沢の始発間近の松屋よりはるかに悲惨だ。
客たちは終電と戦いながらご飯を食べている。
だから怒号が飛び交う、早くしろ、いつになったら出てくるんだ。そんな声が聞こえる。だったらそれなりの飯屋で自分の腹を満たせば良い。
なんなんだこの国は、店員に最低限の尊厳も持てないのかと、なんなんだろう、自分が今求職中なのもある、なぜ、彼らはここまで罵詈雑言を吐かれながら働いているのか、あなたのその牛丼味噌汁は彼らの働きが無くては出てこない。いや、給仕されなければ酔っ払って少し膨張した胃袋すらも満たされない。
なんなんだろう、と思いながら帰路につく、終電ギリギリの横須賀線に乗る。
イヤホンから聞こえてくるのはGEZANのDNA、「今君の目が見ているのは、人が少しずつ壊れてるところ、壊れてるだけチリゴミクズになった後に、音楽がはじまるところ」初めて聞いた時なにを言ってるんだと思ったが、これが人が壊れているところなんだろう。
「creative for distopia」こんな歌ではじまるGEZANの新譜を何の気なしに聞いていたが、ラストトラック、Ambient redで歌われる「剥がれてく、剥がれてく、全ての嘘と悲しみが終わったらほんとになる」全てが嘘だらけの世界でなにをどう生きていけばいいのか、答えは提示されない。全てが終わった後になにがあるのか世界が終わったらなにがあるのか。叫び声とともに歌われるこのアルバムに救われた気がする。本当に。
最寄駅に降り立ち目の前の若者グループを見て、なぜか涙が溢れた。