祝・ナンバーガール再結成によせて
みなさん周知のことかと思いますが、ナンバーガール再結成。
実にめでたい。
2018年初夏のある日、俺は酔っぱらっていた。そして、思った。
またヤツらとナンバーガールをライジングでヤりてえ、と。
あと、稼ぎてえ、とも考えた。俺は酔っぱらっていた。
俺は電話をした。久方ぶりに、ヤツらに。
そして、ヤることになった。
できれば何発かヤりたい。
再結成理由も向井秀徳っぽい。
久方ぶりに向井秀徳曰く「私の恥のアーカイブ集」である「三栖一明」を読み直しました。テンション上がりすぎて。
そこで今更ながら「三栖一明」の印象に残っている点を羅列。
この本は向井秀徳の幼少期から高校時代、ナンバーガール期、ZAZEN BOYS期と3編に渡っている。
幼少期
幼少期から高校時代は向井秀徳の生い立ちが本人の口から語られる、ファン垂涎のものになっている。兄がいてキーボード持ってたり、ギター持っていたりとミュージシャンになる土壌はその頃から築かれていたんだなーと。
また、恋愛観に関しても語られていて、気になる異性がいると「The La's」の「There She Goes」が流れてきて、告白するとそれがどんどんしぼんできて相手と別れを告げてしまうという話が印象的。
ちなみに告白に失敗するとかなりの制作意欲が湧いてきて、もうどうしようもないという感じで曲作りに没頭していたという。
ちなみに有名な話ではあるが、向井秀徳がバイトを始めたミュージックバーで入ってきた、帰国子女的な女子が肩にタトゥーをしており、趣味なども合ったことから交際を持ちかけたがあっさり振られた件に起因して作られた曲がナンバーガール「SAPPUKEI」収録の「TATOOあり」
ナンバーガール期のお話は事実の羅列が多く、あまり作曲面に触れられていないのだけれど「School Girl Addict」までは本当に衝動的に曲を作っていたのかなと、そうであれば結成20周年リマスター版の帯に記載されていた
「これねぇ、もう一言で言わせてもらいますけども・・・・・青春なんですよね。すみません、青春です」
という言葉も納得ができる。
ナンバーガール期
こうしてナンバーガールの前身バンドとかをやりつつ「チェルシーQ」というイベントを福岡で行い始めた向井秀徳は、中尾憲太郎、田渕ひさ子、アヒトイナザワを呼んで、「チェルシーQ」に出演します。
そして、「School Girl Bye Bye」を発売し、初の全国流通として東京の方でも発売され、レコード会社の目に止まります。
しかし、音源を出すというよりは九州では抑えられなくなってきていたナンバーガールとしての衝動を東京で表現するために最初はライブのブッキングのお話が主だったそうです。
そして東京でのライブ、サウスバイサウスウエストへの出演、デイヴフリードマン監修の2ndメジャーシングル「Destruction Baby」と怒涛のナンバーガール初期を過ごしていきます。
山のようなライブをこなす一方メンバーの疲労、向井秀徳の疲労も重なり、3rdアルバム「NUM-HEAVYMETARIC」をリリースしたのちにベース、中尾憲太郎が脱退を表明し、解散へ。
中尾憲太郎が脱退を言い出した後、向井秀徳、田渕ひさ子、アヒトイナザワ、三栖一明による会議が開かれたと、初回では「中尾憲太郎がいなくなってもナンバーガールをやりたいと思ってる奴は?」との向井秀徳からの問いに対して、田渕ひさ子、アヒトイナザワもやると言ったが、結局3回目ぐらいの会議で向井秀徳が「中尾憲太郎がいなければナンバーガールではない、解散する」と決定付けてしまったようで、確かに中尾憲太郎のベースが無ければ成立はしないよなーと納得も。
NUM-HEAVYMETARIC製作時には三味線を自宅アパートで弾いていたら、隣人からうるさすぎて弁護士を通して内容証明が送られてくるといったエピソードもあり、これが現在のMATSURI STUDIO創設のきっかけになったという。
ZAZEN BOYS期
ZAZEN BOYS期に突入していく訳ですが、ここからあの有名なセリフ「This is 向井秀徳」という言葉を向井秀徳は使うようになっていきます。
このセリフの原点がとても意外なところからのインスピレーションだったため、参照します。
ただ、この4人で何をするのかっていうことを一度歌で歌おうと思って。本当に言葉に出して言わないと始まらんと思って。
まず人に向けてね「私はこういう者であります」っていう。
知ってる方もおらっしゃりますけども、今一度言わしてもらう。「This is 向井秀徳であります。」と
中略
Nasっていうニューヨークのラッパーがいて「One Mic」っていう曲あるんだけど、ずーっと1人で、ずーっと何かを言ってるわけ。言ってる内容をよく聞いてみると、「俺はいかにしてこのラップをやってるか」みたいなことなんだけど、それがすごいんです。これだけ言わないとダメなんだって私も思った。
中略
ミッシーエリオットっていう女性ラッパーがいるんだけど、この人は毎回毎回念を押すように「This is Missy Elliott!」って叫ぶ。「ミッシーエリオットを私自身から発信するぞ、バカヤロー!!」みたいな感じで、念を押しすぎだけども、それがかっこいいなと思って。
それで私も「This is 向井秀徳」って何度も何度も言おうと思って。
知ってる人もいるかもしれないけれども、常に言い続ける。繰り返し言い続ける。
中盤は自問自答という曲に関しての引用なんだけれど、こういったヒップホップ要素からのインスピレーションを向井秀徳は受けており、これは周知の通りだと思うんですが、改めて本人の口から聞くとバックボーンにヒップホップあるんすねと感慨深くなったりもする。ミッシーエリオットがモデルなんて誰も気付かないけど、あれだけ「This is 向井秀徳」を言い続けるその信念こういったことができる人の音楽だからこそ響くのだろう。
ZAZEN BOYSの面々には自分の手となり足となり、プレイヤーとしての腕を買って加入してもらっているという自負を持ってもらいたかったらしく、現金でギャラをいきなり渡すという行為に出ます。
ここでは好きであったバンド、ストレイテナーの現ベース、日向秀和のお話がチラッと載っていたので参照します。
ヒナッチは忙しすぎてね。他のバンドとも掛け持ちをやっていたし、まぁ忙しい。
プレイヤーとしての才能もすごいし、超カッコいいですよ。バンドマンとして和を乱すこともないんだけど、ノリが違ったんですね。うまく言えないけど、やっぱりノリが違うとしか言いようがない。
当時は何バンドも掛け持っていたヒナッチと向井秀徳のすれ違い。というかノリの違い。
ここで思ったのは当初ZAZEN BOYSは向井秀徳の手足となる人を探していた、技術に金を払うんだよという精神だった、しかし、ここが向井秀徳の良いところなのかもしれないけれど、やっぱりバンドである以上バンドのメンバーを技術だけとは思えなかったのかもしれない。
技術だけの提供であれば、ライブだけ来てすらっとやって帰るってこともできるわけで、でもそれではグルーヴは生まれないと向井秀徳はどっかで悟ったんだろうな。
やっぱり向井秀徳ってバンドが好きなんだろうな。
こういったエピソードがガンガン入っている「三栖一明」向井秀徳ファンであれば確実に手に入れておきたい本だと思ってます。
ナンバーガール再結成のこのタイミング、リアルタイムでは聞いていなかった人たちもこれを読めば当時の熱量、向井秀徳の苦悩が分かるのではないでしょうか。
そしてより再結成したナンバーガールを楽しめると思います。